はじめての明治神宮御苑 [公園・庭園]
今回は、本年最後の更新だ。
このブログの一年間を簡単に振り返ってみる。
So-netのブログにはアクセス解析が標準装備されていて、その解析結果によると、一日に七、八十人の方が見てくださっていることになっている。始めたての頃は多くて二十人ほどだったと記憶するが、それがしだいに増えて今に至っている。紅葉の頃には、百二十人という日もあり、驚いたものだ。
八割の方がノー・リファラー(インターネットのブックマークに登録しているということ)であり、有人知人ではなく、見ず知らずの方がどこかでこのブログを知って、定期的に見てくれているということだろう。ありがたいことである。
何割かの方がこのブログを知るきっかけになったのがブログランキングだと考えられるが、今年に入って参加したこのブログランキングの「東京風景写真」のカテゴリーでは、六位が定位置になった観がある。一日だけ三位になったことがあって、ひょっとしたら一位も夢ではないかもしれないと思ったが、うぬぼれであった。来年は、五位以内が定位置になるように励みたい。
大晦日に帰省して、一月は五日頃東京に戻る予定である。一週間ほど更新できないが、一月の第二週あたりから更新を再開する予定なので、またお越しいただければと思う。それでは、読者の皆さん、良いお年をお迎えください。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
明治神宮の大鳥居を抜けて少し行くと、左手に明治神宮御苑の入り口がある。
時間があったので、入ってみた。入場料(御苑維持協力金)は五百円。これは、高いと思う。
小道を進むと隔雲亭の屋根が見える。
南池畔の四阿(あづまや)。
野鳥撮影のおじさんが何人かいて、そこに外国人の男と日本人の女のアベックが来た。男が、おじさんの一人に、「すみません、これは何ですか」と聞くと、おじさんは「ああ?アヅマ。アヅマ」と答えていた。外国人は、理解出来ただろうか。
溝に散った銀杏の葉が、形はそのまま堆積していた。
御釣台から隔雲亭を撮る。
この庭は、加藤家の下屋敷で、加藤家が廃された後は井伊家が入った。明治時代に宮内省所管になり、代々木御苑と呼ばれて、明治天皇もたびたび訪れたと言う。もちろん、その頃は明治神宮自体は存在しなかった。
南池には氷が張っていた。
菖蒲田。
霜が降りていた。
御苑の一番奥に、水がこんこんと湧き出る清正井がある。
清正とは、もちろん加藤清正である。本人が掘ったという伝説があるが、どうも嘘らしい。
散り残りたる一葉。
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何割かの方がこのブログを知るきっかけになったのがブログランキングだと考えられるが、今年に入って参加したこのブログランキングの「東京風景写真」のカテゴリーでは、六位が定位置になった観がある。一日だけ三位になったことがあって、ひょっとしたら一位も夢ではないかもしれないと思ったが、うぬぼれであった。来年は、五位以内が定位置になるように励みたい。
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明治神宮の大鳥居を抜けて少し行くと、左手に明治神宮御苑の入り口がある。
時間があったので、入ってみた。入場料(御苑維持協力金)は五百円。これは、高いと思う。
小道を進むと隔雲亭の屋根が見える。
南池畔の四阿(あづまや)。
野鳥撮影のおじさんが何人かいて、そこに外国人の男と日本人の女のアベックが来た。男が、おじさんの一人に、「すみません、これは何ですか」と聞くと、おじさんは「ああ?アヅマ。アヅマ」と答えていた。外国人は、理解出来ただろうか。
溝に散った銀杏の葉が、形はそのまま堆積していた。
御釣台から隔雲亭を撮る。
この庭は、加藤家の下屋敷で、加藤家が廃された後は井伊家が入った。明治時代に宮内省所管になり、代々木御苑と呼ばれて、明治天皇もたびたび訪れたと言う。もちろん、その頃は明治神宮自体は存在しなかった。
南池には氷が張っていた。
菖蒲田。
霜が降りていた。
御苑の一番奥に、水がこんこんと湧き出る清正井がある。
清正とは、もちろん加藤清正である。本人が掘ったという伝説があるが、どうも嘘らしい。
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2012-12-30 15:04
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